生成AIとデータ主権を考える

株式会社エアー 製品調査担当

今年もまた、この時期にブログを書くことになりました。
生成AIを含むクラウドサービスは、今や特別なものではなく、日常の業務や思考の延長として使われています。入力した文章や資料が、どこで処理され、どのモデルに渡り、推論や学習に使われているのか。その全体像を意識しないまま、私たちは今日も便利さを享受しているように思います。

日光東照宮の三猿、見ざる・言わざる・聞かざるは、余計なことに踏み込まず、波風を立てずに生きるための日本人の知恵だったのだと思います。しかしAIとデータを巡る今の世界で、この姿勢は本当に通用するのでしょうか。見ないふりをしても私たちのデータは集められ、聞かないふりをしてもAIは集めたデータを元に判断を下し続ける。と言えないでしょうか。

思い返せば、15年ほど前、クラウドの黎明期に、関西の有志の技術者が集まる場で、こんな話を聞いたことがあります。「ガバナンスの観点から、自分たちのデータは、クラウド業社からいつでも取り戻せなければならない」。当時も当然のようにも聞こえました。今になってその言葉の重みが増していると思えます。

最近語られるデータ主権とは、突き詰めれば「データは誰のものなのか」という問いです。
そして、そのデータがどこに置かれているのか、日本なのか海外なのか。もし海外に置かれたなら、その瞬間から私たちは、その国の法律やルールに従わざるを得なくなります。クラウドを使うということは、便利さと引き換えに、知らないうちに判断の主導権を手放している可能性がある、ということでもあります。

この議論は、まだ始まったばかり、三猿の知恵が役割を終えつつある一方で、私たちは今、データやAIとの向き合い方を選び直す入口に立っています。生成AIを使い続ける今だからこそ、データの持ち主は誰なのか、そしてどこのルールに身を委ねているのかを意識することが、次の一歩につながるのではないでしょうか。そんな希望も、まだ十分に残されていると考えたいところです。

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